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31: チーター(大分県):2013/07/08(月) 20:28:25.55 ID:bQEagF/b0

でも、「明治時代の子供人口」と
「現在の子供人口」が同じぐらいなんでしょ?

明治時代と言えば偉人も天才も大勢出てきて
国全体に活気があった時代。

子供の人数が同じでも、それだけ元気な歴史が作れるんだから、
問題なのは「少子化」じゃなくて「多老化」でしょ(´・ω・`)

あちこちで「子供が少ないせい」みたいに言うのはミスリードだよね。

午後のこ〜だの名称は、かつてアングラサイト上で「MP3」を逆綴りで「3PM」とし、そこから「午後3時」「午後」と呼んでいた隠語に由来する。MP3のエンコーダ、すなわち午後のこ〜だとなる。また、キリンビバレッジの『午後の紅茶』にかけた駄洒落でもある。
makisuke:

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山並みのグラデーションが美しい。 (鴨川 荒神橋)

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山並みのグラデーションが美しい。 (鴨川 荒神橋)

「私は、私だけに見える世界をみんなに見せるための機械だ」

ジガ・ヴェルトフ

http://ccoe.cocolog-nifty.com/news/2005/08/sac_a689.html

reblogにふさわしい.

(via bgnori)

茶の湯の世界では、「おもてなし」には、下記の3つの原則があるという。

1.準備を整えて客を待つ(仕度の原則)
2.くつろげる空間を演出する(しつらえの原則)
3.ゲームのルールを共有する(仕掛けの原則)

 おもてなしは、まずは主人が取り仕切ることからはじまる。主人は、準備を行い、空間を演出し、客をまつ。あらかじめ前もって行う準備のことを「用意」という。

 しかし、おもてなしの本質は「主人」だけにあるのではない。上記3のルールを共有した「客」と「主客一体」になって、相互行為として達成される、というところが最大のポイントである。これを「卒意」という。

 おもてなしには、「用意」と「卒意」が必要である。つまりは、主人と客が、アドホックに機転を利かして場を構成する。

 おもてなしが成功するかどうかは、主人だけにかかっているのではない。主人と客のインタラクションの中に、おもてなしがある。

 「主人と客がともに一回かぎりの機会を思いやりをもって取り組もう」という「一期一会」、それにより「主人と客が心が通い合う状態」が生まれる「一座建立」は、こうしたインタラクションによって達成される。

  ▼

 これは、おそらく、演芸や茶の湯といった世界だけに言えることではない。
 フォーラム、セミナー、ワークショップというものでも同じだろう。きちんと主催者側が準備をしても、「お客さんが卒意をきかせてくれない場合」には、「よい場」にはならない。

 もちろん、そもそも「用意」ができていない準備不足のイベントは多々ある。そういうものは論外にしても、いくら準備をしても、その場の成功は、主人だけで決定されるわけではない。

 イベントを経験して、「あんまり面白くなかった」と感想を述べるのは簡単だ。

 しかし、その場の構成のため、
     あなたは「何」をしたのだ?

 そういうことを考えてみる必要があると思う。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 噺家さんとお客さん (via clione)

社会のいろいろなところであてはまる話。

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